北海道地震
おはようございます。
まだ9月上旬ですが、2018年ここまででも本当にたくさんの事が起きたと思います。
北陸地方の豪雪
中国・四国地方での豪雨
台風12号の上陸
摂氏40℃の猛暑
台風20号の上陸
北海道地震…
まず最初に、
これらに限らず自然災害やそれに伴う二次災害で犠牲になった方々へ
心よりご冥福を申し上げます。
僕がメディアやインターネット、SNSで知り、印象が大きかったこれらの災害。
メディアやSNSなどでは実際の被害の大きさや、安否確認、各情報の提供など多くの発受信があったと思います。
それらを見ていて感じたことについて書いていきたいと思います。
前提として僕は、北海道民です。
できるだけ頑張りますが、読んでいただいてる方によっては北海道贔屓な発言があるかもしれませんが気にしないでください。被害の大きさ等を比較する意志も、何かを軽視する意志もありません。僕の文章力と語彙力の低さの問題です。
僕も自分のLINEやTwitterやInstagramなどで見ていましたし、微力ながら発信もしていました。
僕は北海道外や海外にも興味があるので、僕のSNS等には国内外様々な人がいて、様々な情報がすぐに見られる状態と言えます。
そこで感じたこと。
小さな違和感。
僅かな疑問。
北海道・東北以外の人は全く興味が無いのか?
例えば、
「2010年1月12日」何があったか分かりますか?
これ少しは難しいかもしれないが正解は
「ハイチ地震」が起こった日である。
Mw 7.0、死者22万人以上(公式発表では31万6000人以上とも言われるが正確な数は不明)。
- https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表#21世紀_6
22万人の方が亡くなっているのにも関わらず、恐らくほとんどの日本人は答えられないだろう。
では
「2007年7月16日」は何があったか分かりますか?
何か聞いたことあるけど思い出せない。という人もいると思う。
これは
「新潟県中越沖地震」が起こった日である。
Mj 6.8(Mw 6.7)、新潟県長岡市・柏崎市・刈羽村、長野県飯綱町で最大震度 6強。柏崎刈羽原子力発電所では震度 7相当との試算があるが、計測地震計によるものではない。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。局所的に最大1mの津波を観測。
- https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表_(日本)#2010年代
同じ日本国内で起こったことでさえあまり記憶には残っていない人がきっと多いと思う。
実際僕も調べてみてそうだったのかと気付かされた。
という事は、今の僕は僕が感じた疑問の対象であるSNSの先の方々と同じ状況である。
更に、今まで世界中で幾度となく繰り返されてきた自然災害によって犠牲になった方々とその親族の方に対しての冒涜にほど近いものであると考えられる。
そして僕が感じたこと。
地震発生直後から、北海道にいる家族や友人と連絡を取り続け、成田空港へ行き、ダメ元で新千歳空港へ向かう飛行機が欠航になったことを確認。
この瞬間から違和感は始まった。
何百人といる人たちのが互いに会話している中から聞こえてくる、
「新千歳空港大変なんだ~」
「早く行きたかったのに(笑)」
最初は聞いてもいないし耳にも入っていなかったが、1度何かの拍子に聞こえると全員の会話が聞こえる気がした。
色々な目的で北海道へ向かう人がいるし、もし自分が旅行に行こうと思って、現地で災害が発生したら同じような事を言うか、言わないにしても、心では思っただろう。
と、そこではほとんどあるかないかの小さな違和感でしかなかった。
次に感じたのは、空港内のベンチで設置されている大テレビのニュースを見ていた時だった。
僕の左隣に座っていた男性(日本人 恐らく同年代か年下)グループが、
「北海道凄いことになってるな」
「大変そうだな」
「でも災害って起こったらそのテレビしかやらなくてつまらないよな」
「まあしょうがないのは分かるけどさ」
と言うような内容の会話をしていた。
更には、
先にも述べたように僕はSNS等で道外、海外の方と簡単に繋がれる。
そうすると見えてくるのは「○○旅行行ってくる!」とか「おしゃれなカフェ」と言った、何事も無い普通の日常の投稿。
今、このブログを書いているこの瞬間も、
僕の家族や友だちやバイトの先輩や上司たちは、
水が出ない、
電気が流れない、
ガスが使えない、
携帯の電波が不安定、
限られた水や食料…等
と言った状況で、
いつ繰り返されるか分からない地震に備えながら生きている。
偶然僕の横に座った彼らは全く悪くない。
SNS等で発信していた方々も何一つ悪くない。
誰しも思う事は違うし僕と彼らは生きてきた環境が違うのだから仕方のないことであり、僕は彼らを責める気は微塵たりとも無い。
こう思ってしまう僕も悪くない。
僕と同じような感覚を持つ人、持っていた人はきっといると思う。
しかしそれが悪いというわけではない。
例えば、自分の知っている親しい人間が不慮の事故で亡くなったとする。
しかし隣の家はそんなことはもちろん知らずいつも通り家族団欒を楽しんでいる。
突然のことで悲しみに暮れるのは仕方ない、というよりは必然である。
いつも通りの充実した日々に笑い声が起こる、これは必然である。
ただここで思うのは、
後者の家族が隣の家の不幸を知っていたら?
更には部屋の壁が薄く声が聞こえやすいのを知っていたら?
どうなるかは全然分からないし想像もできない。
人生の楽しいと思える瞬間を他の人の為に楽しみ切れないのはもったいないしそんなことしない方がいい。
でも…。
でも、の先に続く言葉が僕にはわからない。
なんて言うか、もっと知ってほしいと言うか、でも知ったからと言って何か察しろ、とかじゃなくて、多くの人に知ってもらえれば想像もできない何かが変わるんじゃないかな?って思って、
何か言葉にはできないけど、
せっかくインターネットやらスマホやらがあるのだから「もっと」お互いに情報を伝えあって、心配しあえるようになればきっと僕みたいなことを考える人なんていなくなると思うし、もっと備えられることが増えて安心して生きていけると思うんです。
そんなこと分かってる、って意見もあると思います。
でも言ってる人が少ない。
もっと発信して、
もっと知ろうとして、
もっと互いの為に生きれたら良いな。って僕は思います。
深夜から3時間も4時間もかかってこの文のクオリティ。
読みづらくてすいません。
最後に、
きっとこのブログは北海道の方にはすぐには届かないけど、北海道の方にお願いがあります。
頼むから生きてくれ。
成田空港で足止めされて気が狂いそうです。
お願いだから、備えて死ぬ気で生きてください。
東京から皆様の無事を祈っています。